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Vol.01 島野つねお(Tsuneo Shimano)

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絵を描くことが好きで絵画科に進むが、しだいに絵画と立体、インスタレーションなど複合的な表現を試みる。その後、インスタレーション作品のなかに本人が加わるパフォーマンス的要素が入る。普段から感じたことをドゥローイング帳に描き、そこから気になるイメージをふくらませて、後にさまざまな作品につながっていくことが多い彼は、日常生活がそのまま作品につながっていく「自然体な人」であり、「アーティスト」という言葉が似合わないようだ。思がけない作品がでてきたり、一貫性がないようでいて実はあったり、いい意味で裏切ってくれる島野くんは、僕がちょっと注目したいというか、見ていたいなと思う人だ。ということで、6月3日から8日までギャラリーNWハウス(東京都新宿区西早稲田1-3-7)にて個展を開催中の島野つねおにインタビューを試みた。

●けっこう毎年、コンスタントに作品を発表してますね。

■そうですね、アイディアがでると、それをカタチにしたいと思うんですよ。空間に設置してある作品のアイディアは、ちょっとずつでも出していかないと、枯れてっちゃうし。もちろんドゥローイングだけで終わるものもたくさんあるけど、人がともなってくるイメージは、構想だけで終わってしまうと意味がない。やっぱりヴィジュアル・アートだから、人が実際に見たときの感覚、色とかはすごく重要だと思ってます。いわば感覚的なものって、絶対に拭えないから。結局作品はいろんなもののコラージュなので、途中で加わったり、はずしたり、組み合わせていろいろ変わっていくし。僕はけっこう行き当たりばったりなんで、とっかえひっかえしないと分からないんですよ。その結果できたものが作品になるっていうのが多い。アイディアが最初にあっても、できてくるものは違ってる。

●最初のイメージってどの程度の強さをもつんでしょう。

■考えただけではなにもできなくて、偶然でも素材が合わさっていって、途中経過があってはじめてわかってくる。最初にアタマの中にある状態が一番いい作品、ということもあるんでしょうけど、僕の場合、自分のアタマの中を他人に伝えるようにするにはどうしたらいいか、一番伝わるような作品をつくりたいと思うし、見た人によって違うから、その人なりに再構成していってほしいなと思います。その人が僕が思っていたことと、違う方向に行くならそのまま行ってほしい。

●家の形をした、バルーンの作品(写真参照)をつくったきっかけはなんですか。

■発砲スチロールの作品をつくったら、学校の先生であり美術評論家である人に「キミの作品はハリボテだ。彫刻にはなり得ない、それに値しない」と言われて、僕は彫刻をつくりたいわけじゃないし、こういうカタチでしか今は作品をつくれないから、じゃあもっとハリボテ的なものをつくろうかなって最終的には(笑)。でもまわりの人の言うことに影響されやすいから(笑)、そう言われた最初はなにをやっていいのかわからなくなって、悩んでいました。学部を卒業して学校の研究室も出ることになった後、就職して会社員をやってました。僕は作品で食べていけるとか思ってなかったから(笑)。学生のときは、まわりは美術史的な観点から、「次につくられなければならない作品はこうだ」という方向でやっていたんですが、僕はなじめなくて、自分の好きなものをつくりたいって思ってたんです。だから就職してから気持ちがラクになったというのはあったけど、まわりはみんなガンガン作品つくっていて、自分だけ会社員だから取り残された気がしていたんです。そのころ会社から帰ってニュースばっかり見ていたんですが、ちょうどその年は地震や台風が多かった時期で、家が流されたり崩れたりしている映像が頭の中に残っていたんです。その後僕は失業するんですが(笑)、これも影響あると思います。会社が苦しくなって、転職するか給料減るかということで、辞めることになったんです。でも自分の場所がないとか、取り残されているとか、どうなるんだろうとかいろいろ考えていた時期だったんで、特定の場所がない、ふわふわした家の形をしたバルーンの作品(写真参照)ができたんだろうと思います。僕は軽度のアトピーがあって、対人恐怖症みたいな部分もでてきて、人に会いたくないし、でも仕事してお金がないと困るし。いろんなことが怖くなっていて、そういう「根なし感」があった。だからずっと仕事はなくて、本当にどうするのか考えなければならない時期だったんです。それで切羽詰まった時期に、友達の紹介で電器工事のバイトを始めたんですけど、埃とか汗とかすごくて、アトピーにはよくないんですけど、なぜか平気で(笑)。

●不安というのは、自分自身の問題ですよね。それを人に見せるということはどうですか。

■やっぱり自分が思うんだったら、他の人も思う可能性もあるってことだし、「私のことだけど私たちのことでもある」と思ってつくります。自分でつくって「ヨシヨシ」って納得するより、さっきもいったように、自分の頭のなかを他人にいかに伝えるかを考えたとき、その手段が作品だと思うし。人の話を聞いたり、ニュースを見たりしていると、「ピッ」っとイメージがうかぶんです。メモ的なドゥローイングは気づいたときとか、描きたいときにいつも描いているんですが、それを後で見直したり、時間がたったときにこうしたきっかけで作品になることが多いんです。だから最初は自分のなかにあるイメージなんですが、かたちになるときには、まわりからの影響があって「ピッ」とくる。

●作品のなかに自分自身が登場するようになりますね。

■自分のドゥローイングを見てみると、人のかたちが出てくるものが多くなってきてたんです。そんなに出てくるなら、自分のなかで気になっているということだし、だとしたらやらなきゃいけないと思って。人が入った作品には抵抗があったんですが、そういう自分が作品の一部になってそこにいると、ギャラリーに見に来る人は、僕が床に寝っころがっていても、声をかけてくるわけでもないし、僕という人間がいないものとして作品を見ていくんだなあって思いました。なんか自分も仕事なかった時期だし、ホームレスってこんな感じなのかなあって。

●島野つねおの作品には、それぞれ本人がその作品をつくるに至った理由というものがつまっている。でも見る人にとっては、彼がなにを考えて作品をつくったのかということは分からない。「作家はなにをいいたいんだろうか」と考えることは無駄なことなんだと知る。そこではじめて見る人の想像力に任されて、彼の作品が、彼の手を離れ始めることになるのだろう。よくよく思い起こせば、彼の作品はいつも僕の想像力を刺激してやまなかった。つかみどころがないぶん、「つくりたいから、つくりたいものを、つくりたいときにつくる」という、とても素直な人だなと思わずにはいられない。だから、つくることが好きで、とても美術的だなと思うと同時に、彼の自由さが、どんな作品を生み出していくのか、見ていたいと思うのだ。

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words:クワハライサオ


eye02_D2_l〈青色の緑〉1994年 緑は青から生まれたという話をヒントに、もともとなかった緑は、もともと居場所がなかったもの、幻想の色と生身の人間で表した作品

eye02_D3_l〈羊(ZERO)〉1995年 NHKのBS放送「真夜中の王国」内で発表。羊にとっての毛は服であり家であるとの発想から、新宿のホームレスという、いわば固定した家も服もないけど住処がある彼らの前でパフォーマンス。

eye02_D4_l〈2つの世界〉1995年 黄色と赤の小さな引き出しには雨、虫、映画、生活の音が入ったカセットテープがあり、観客はそれをカセットデッキで流すことができる。作家本人は視界を遮られた状態で人型の粘土をつくり続ける。まわりの人、音や行動(社会)と、自分との関係をテーマにした。

eye02_D5_l〈巣〉1996年 ひろってきた本物の鳥の巣と、作家が自分でつくった人間の家型の巣を混在させて展示。仮説の住居、文化としての住居ではなく、「生きていくための住処」がテーマ。

eye02_D6_l〈羊の箱〉1996年 帽子をかぶろうとジャンプする人影(頭を使う人と体を使う人)が2人、壁面に投影され、その帽子それぞれからチカラをもらって、想像力の木であるオリーブが育っている

eye02_D7_l〈NAMIDA〉1998年 今回発表された作品。くるくる回る列車には人の顔がのっていて、そこから涙が下に落ちている。殺伐とした社会の雰囲気が、なにかかわいそうだと思う作家が、「人の涙をひろってあげようと思った」とのこと。

eye02_D8_lSitting Girls Right and Left 1997

島野つねお(Tsuneo Shimano)

1968年 東京生まれ。
多摩美術大学絵画科油画専攻卒業。

2013-08-13 at 09:39 午後 in アーティスト・ヴォイス | Permalink

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