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ドクメンタ12に参加の新進作家、曾御欽

台湾からライター岩切みおさんの5月のレポートです。

250_02_1曾御欽《聞こえた人いるかな》(ヨーグルト編、7分55秒)2003年 © Tseng Yu-chin

この夏、数人の台湾作家が、大型国際展に参加する。前々回お伝えした、台湾館としてのベネチア・ビエンナーレ参加のほか、中華系のキュレーター、ホウ・ハンルーが企画する8月開幕のイスタンブール・ビエンナーレには、前回紹介した彭弘智(ポン・ホンツー)、伊通公園ギャラリーのディレクターでもある女性作家、陳慧嶠(チェン・ホイチャオ)と、ここ数年内外で最も活躍している映像作家、陳界仁(チェン・ジエレン)の3人が招待されている。

このなかでも、特に台湾を湧かせたのは、曾御欽(ゼン・ユーチン。またの名を毛牛:マオニョウ)のドクメンタ参加のニュースだった。これまでドクメンタに参加した台湾人アーティストはみな国外在住で、台湾から選ばれたわけではなかったせいか、彼を「台湾の星」などと呼んで持ち上げるメディアも出た。

毛牛は、昨年、国立台北藝術大学のアート&テクノロジー研究所(日本でいう大学院)を卒業したばかりの、若いビデオ・アーティストだ。2005年の第3回福岡アジア美術トリエンナーレには参加しているが、地元では、台北ビエンナーレの参加経験もなく、どちらかというと海外での評価が先行している。 筆者は、3年半ほど前に、彼の作品に出会い、それからずっと、陰ながら応援してきた。これまで、福岡での小さいグループ展や、横浜でのビデオ・スクリーニングに出てもらったこともある。

毛牛の作品の評判はいつも上々だが、実は眉をしかめる人もいる。
作品の多くには子どもが登場する。子どもたちは、カメラに向かってヨーグルトを顔にかけられる遊びに興じていたり、上半身裸で小学校の屋外の演説台に寝そべっていたり、眠りこけながらバスに乗っていたり、友達と裸で水遊びしたりしている。そこには、ちょっと危険な匂いがする。それが何を意味するのか、観客はしばらく考え込まざるを得ない。無邪気に「可愛い」と言えない子どもの姿に、心かき乱されるからだ。作品を見終えた後、そこに漂うセクシャルな匂いに、この作家はロリコンなのか、と真剣に聞いてくる人さえいる。しかし、毛牛の表現が危険だとすれば、問題は、作品を見る私たち自身の中に潜んでいるような気がする。 人間というものは、本質的にセクシャルなものだし、子どもはそれを上手に隠すすべをまだ覚えていないだけのことだ。そして毛牛は、非常に巧みに、あるがままの子どもを画面に映し出す。

毛牛の作品を見るとき私たちが思い出さざるを得ないのは、無力で、むき出しの感覚をいつも世界中に晒されているような、あのどうしようもなく頼りない、子どもの頃の気持ちだ。作品に引きずられるようにしてたどる古い記憶——その瞬間瞬間が、泣きたくなるほどの愛おしさと同時に、大人としていっそ忘れてしまいたいある種の脆さを持っている。

この夏、ドクメンタに行かれる予定のある方は、どうか彼の作品を探してみて欲しい。コンセプト色の強いドクメンタの文脈の中で、毛牛の作品はまた違って見えるかもしれない。

Words: 岩切みお

2007-05-25 at 02:10 午後 in ワールド・レポート | Permalink

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