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PLAYはPLAYだ

「夢中 にPLAY する」   

art113_03_1会場風景、中央の机の上は鏡面になっていて、これまでの活動を記録した資料を閲覧できる

■「THE PLAY」というグループの1967年から2000年までの33年の歩みを写真などの記録によって回顧する展覧会が開かれた。
「PLAY」には様々な意味が含まれるが、演劇などで演ずることをいうにも使う。はじめ、そんな意味を意識して命名されたという。

■「第1回PLAY展」というのがはじまりだが、「第1回」とはいうものの継続していくつもりがあったわけではなかったのだという。左目に眼帯をした数人が公園を起点に街にくり出したり、パフォーマンス性の高い行為を行なっている。3日間野外彫刻展を行なうということで公園の使用許可を得たというから笑ってしまう。彼らは、絵画や彫刻といったモノを展示するのではなく、行為そのものを芸術表現として発表し続けてきた。

■メンバーは流動的で、「行為」のつど、参加者を募って活動してきた。美術家だけの集団ではなく、自営業の人もいればいろんな職業の人がいる。美術家の池水慶一さんなどを中心に活動してきた。記録写真のなかには、いまは文筆家となっている若一光司氏なども参加している姿が写っていた。

■68年の「VOYAGE」では樹脂でつくった3.3m×2.2mもの卵型の物体を和歌山県串本から黒潮に放流している。アメリカ西海岸にたどり着く可能性が高かったが、1ヶ月後に航行中の船舶から位置を伝える電報をもらった後は行方がわからなくなっている。その後も、矢印型のイカダで京都宇治川・塔の島から大阪堂島川・中之島に流れにのって移動する「現代美術の流れ」(69年)、「SHEEP・羊飼い」(70年)、「TOROKKO 」(74年)など現在に至るまでの彼らの「行為」をみてゆくと、目的地がはっきりしているようで、目的地には意味を持たせない、場所の移動を伴なう行為が目立つ。

■10年間続いた「雷 THUNDER」(77~86年)は、6月になると丸太材で一辺が20mの塔を組み、先端に導雷針をつけて落雷を待ち、9月に解体することを繰り返している。とうとう雷は落ちなかったが、50人が塔の構築に参加し、延べ約500人が塔を訪れた。結果が大事なのではなく、「待つ時間」時間の共有というプロセスがすべてを語る。

■「PLAY」には遊ぶという意味もある。とてもシリアスなようで遊び心を忘れない行為の記録を見ていて、芸術のひとつのあり方として、とても心ひかれるものがあった。どの行為にも参加できていないが、記録をみるという行為に参加できた。

PLAYはPLAYだ
2000年7月24日(月)~29日(土)
信濃橋画廊
TEL06-6532-4395

words:原久子

art113_03_2「第1回PLAY展」(1967)機関車のかたちの作品を公園で走らせたり、ハプニング的な行為をメンバーがおこなった

art113_03_3矢印のかたちをしたイカダで京都から大阪まで川下り。題して「現代美術の流れ」(1969)

art113_03_4「SHEEP・羊飼い」(1970)羊を12頭つれて川沿いを放牧し、京都から大阪に向かった

art113_03_5「雷 THUNDER」(1977~86)
丸太材で一辺が20mの三角錐をつくり雷が落ちるのを待った

art113_03_6「口永良部島にある直径200mのくぼ地には鹿が生息していて、地元では神聖な場所とされているらしい。そこまで行くという行為を決行した(1999年3月)

2000-07-24 at 01:27 午後 in 展覧会レポート | Permalink

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