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Vol.03 高嶺 格(Tadasu Takamine)

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高嶺格の作品はパフォーマンスであれ、なんであれ、とにかく身体と密接な関係をもち、そして、人間という物体をさまざまなものから解放してみる試みや、解放される ことの叶わない部分のもどかしさを伝達することを作品のなかでおこなっている。それらすべての試みを通 して、彼は「愛」を表現していこうとしている。 彼は最近では、いつのまにか、コンピュータや映像などさまざまなメディアを用いながら、新しい作品をつくっている。とにかく彼の作品は、体験してもらわねばならない。 不自由な私たち人間の、これまた何と不自由なのであろうかということを認識するとともに、そんな人間がますます好きになってしまうような作品である.

●芸術系大学に進むことはいつごろから考えはじめていたのですか?
■高校時代に進路を考える時点で、美術系にしか進みようがないことは知っていました。たまたま、ヨゼフ・ボイスらの作品をテレビでみる機会があって、感動はしたのですが、美術史を振り返ってみていくと、もうやるべきことは出尽くしているという印象をもっていました。やりたいことをやったとしても、行き着く先がみえないということにすごく不安を覚えましたが、その進みようのないところの先が、どう考えても自分の身体を傷つける以外のビジョンがイメージできなくて困惑していました。そして、それを本当に選択するのか俺は、という悩み方をしている高校生だったのです。そういう頃に、同郷の藤浩志さんや小山田徹さん(ダムタイプ)たちに御会いして、何か彼ら二人がすごくひっかかったんです。時代に対する違和感みたいなものを美術という文脈のなかで堂々と背負っている感じがした。京都市立芸大に進学をしたのはそんな彼らがいたからという部分は大きいです。
●いざ芸術系大学に入学してみて、いかがでした?
■僕は地方出身の一途な高校生だったので、大学では皆ガンガン議論をかわして、決裂すれば喧嘩も辞さない、というような70年代の硬派みたいな学生生活を期待して入学してきたのです。そういった期待が大学内ではなかなか満たされなかったので、小山田さんなどのいたダムタイプの事務所に出入りするようになり、少しずつかかわるようになりました。ただ、僕にはさらなる自分探しが必要だったし、自分でものを作らないと、自分でものを考えるためのメソッドが欠落するんじゃないかと思って、ダムタイプからもすこし距離をおいていた時期などもありました。

●作品としてはどちらかというと造形作品というよりライブ性のあるものをこれまで主にやってこられていますが、きっかけがあったのですか?
■僕は大学時代、専攻が漆芸だったのですが、僕にとって漆という素材を使った使った制作過程が、その頃(二十代前半)の不安定でうつろいやすい思考の流れに対応できなかったということが、ライブを始めたきっかけだったように思います。制作にはいった瞬間に得られていた筈の、思考と作品イメージとの同一感が、完成される時点では両者に大きな開きが出来てしまっていて、それが開いたままで観客の目に触れてしまうことが耐えられなかった、というわけです。制作展(毎年京都芸大の全学年の学生が出品する京都市美術館での展覧会)で電話を使った作品をつくったんですが、これが初めて作品に同時間性を取り入れたものです。家と美術館に電話を置いて、専用回線を1週間ひいてもらい、顔の見えない人と1対1で電話越しにコミュニケーションをとるというものをつくりました。美術作品をつくって設置するというのは、ものだけが置き去りにされてしまうわけですよね。それが不安で、やれまんじゅう食えの、あれも見ろこれも見ろとサービスしてしまうのです。僕は「もの」以上の意味をもつもの、たとえ「もの」であっても輪郭が茫洋とひろがっていくような印象を残すものが「好き」なのです。いや、絶対にそうじゃないと馬鹿みたいだから、例えば展覧会があるとすれば、時間の許す限りその場に立ちあっておきたいし、ガンガン議論して決裂すれば喧嘩も辞さない、もやってみたい。もちろん作品のタイプにもよりますけどね。パッケージのビデオや出版物は既にこれが不可能ですから。もしそんなものができる機会があれば右往左往してしまうと思う。

●では、高嶺さんにとっては、パフォーマンスというライブ性の強いものが、表現方法として一番しっくりくるわけですね。
■ライブは確かに特別な時間をもたらしてはくれます。興奮します。一瞬一瞬の計算が伝わるか伝わらないかの、ある種の緊張感に似たものの醍醐味は、なかなか意図してはつくりにくい。人がもがいている、すんなり事が運ばない姿って、「そうそう」「それそれ」とかって見ていて救われる気がするんです。窮鼠猫を噛むというのではなくて、どう言ったらいいんでしょうね。非常に原始的で動物的なことをやろうとしてるんだと思います。

●97年の4月から岐阜県立国際情報科学芸術アカデミーに学生として籍を置いておられますが、これまでやってきたことを何か変えようとか、そういうことですか?
■1.環境を変えたかった。2.奨学金に目がくらんだ。3.学校が新しかったので、大体そういうときは面白いだろうと思った。4.僕みたいな人間はどうせ、とか思われるのがいやだった。

●作品のプランはどんなときにつくるんですか?
■ノートが近くにあるときはアイデアが浮かぶと書きとめる。でも、ほとんど書きっぱなしで、前に考えたことを引っぱり出して使うことはあまりないですね。アイデアは僕らの食扶持ではありますが、アイデアを切り売りしようとかアイデア自体を見せようと思って作ってる訳じゃないですから、発表する直前までプランニングは続いてて、発表する瞬間に一番頭はよく働いています。

●いま興味のあることを聞かせてください。
■パフォーマンスに付随する機能をインターネットなどのネットワークが広げていくことが出来るのかどうかとか。でも、なんだかんだ言ってもインターネットはテキストベースのものだと思うんです。マシンの制約や、モニターのスケール感の限界をいまだに拭いきれません。でも最近は、かえってマシンの制約が妙にリアリティに訴えてくるケースなどを体験してもいて、困ったことになっています。

words:原 久子


eye04_01_leye04_02_leye04_03_l母太鼓ちんと計算ぷん(1998)

eye04_04_leye04_05_l「アジアの純真」(1997)

eye04_06_l「アジアの純真」(1997)

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eye04_09_l「あごの無い人1」(1993)

eye04_10_l「生存権と開発権」(1993)

eye04_11_l「生存権と開発権」(1993)

eye04_12_l僕のコーダイさんをティンとさせてくれ(1992)

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高嶺 格(Tadasu Takamine)

1968年 鹿児島生まれ
京都市立芸術大学工芸科漆工専攻卒 現在 岐阜県立国際情報科学芸術アカデミー在学中
主な展覧会:
1998 そそりゆく音楽 / 日本昭和音楽村, 岐阜
1996 pilot farm / アートスペース 虹, 京都
1994 wonderful life / 横浜ガレリア, 神奈川
12 functions / ギャラリーマロニエ, 京都
大アート展 / ラフォーレ原宿, 東京
1993 YKK / 大阪現代美術センター, 大阪
1992 愛の資料館 / ヴォイスギャラリー, 京都
パフォーマンス:
1998 母太鼓ちんと計算ぷん(バンドライブ) / 日本昭和音楽村, 岐阜
perf ormance in HIROSHIMA /広島市現代美術館, 広島
Real time chat/ 国際情報科学芸術アカデミー, 岐阜
1997 7 Virtues/ 国際情報 科学芸術アカデミー, 岐阜
1996 The 5th performance festival in Mexico, メキ シコシティー
what can I do for you? / 京大西部講堂, 京都
1994 le ca ballet minimalist / p3, 東京
1993 あごの無い人 / sony artist audition, 東京
生存権と開発権 /アートスペース無門館, 京都
tele-onalysis / ヴォイスギャラリ ー, 京都
1992 僕のコーダイさんをティンとさせてくれ / 名古屋市美術館, 愛知
1991 糸に巻かれる人 / ヴォイスギャラリー, 京都
その他:
1993 - work with dumb type 1997 performance "OR" 1993 -
1996 performance "S/N"
1994 performance "pH"

1998-06-30 at 10:59 午後 in アーティスト・ヴォイス | Permalink

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